宝物


獅子頭

寒川神社の御神宝です。度重なる大火から僅かに残されたもので、古来から大切に所蔵されてきました。

桐で作られた漆塗りで、法隆寺に伝わる獅子頭に様式が似ており、製作年代は鎌倉時代であるとする説があります。
また、獅子頭は通常2体で一組ですが、宇治平等院にこれに酷似した獅子頭が一体存在すると伝えられています。

この獅子頭には次のような言い伝えがあります。

ある時、漁師の投げ込んだ網にこの獅子頭が入ったので、それを神社に祀ると、神社の沖合を航行する船の沈没が相次ぎました。
これは獅子頭の祟りであろうと、神殿の下の石室を造って封じ込めたところ、海難事故がぴたりと止んだといわれています。
昔は実際に獅子舞に使用したものであると考えられています。

この獅子頭の内側には朱漆の銘があり、千葉一族の原氏が、文明十三年(1481年)に社殿再建と獅子頭の修復をしたことが記されています。

「依為大破神明之獅子面並宮殿奉建立也
文明十三年九月廿日
本旦那民部大夫政吉
次旦那原次郎五郎弼次」

 

大舟の飾り幕

大舟の飾り幕古来、千葉神社の祭礼において「御浜下り」という神事が行われていました。これは、鎌倉幕府の重臣で下総の名族といわれた千葉氏が、一族の守護神として祀っていた妙見尊の祭礼として、千葉郷あげての大祭を開催したことに由来し、その創始は大治二年(1127年)と伝えられています。

その祭礼は旧暦七月十六日から二十二日の七日間にわたりましたが、その期間中の二十日に、妙見様のご加護によって豊漁を祈る寒川村の氏子の手によって「御浜下り」が行われました。

当時は遠浅だった出洲海岸の妙見洲(現在の出洲港 土木事務所付近にあった浅瀬)で、寒川の若衆の奉仕により神輿を海中に渡御したといわれています。

この「御浜下り」に、神輿とともに神幸行列に加わっていたのが、二隻の舟形の山車でした。一隻を「千葉舟」、もう一隻を「結城舟(寒川舟)とよびました。この寒川舟の舷側を飾っていたのが、この幕です。
結城舟は天福元年(1233年)に始まったと伝えられていますが、少なくとも江戸末期まで祭礼に登場していました。その船頭を務める者は祭礼の最名誉職で、麻の襷に縮緬に褌で舟の上から指揮をとったと伝えられていました。

しかし、月日が経つとともに結城舟という山車があったということは寒川の人々から忘れ去られ、祭礼の様子も時代とともに様変わりしてしまいました。

大舟の飾り幕(獅子)この幕は、江戸時代末期の嘉永三年にそれまでの幕にかわって新調されたもので、長さが15.4メートル、幅が78~79センチあり、船首にあたる部分には、千葉氏の家紋「月星」と「九曜星」が飾られています。

この幕の裏には寄進に携わった氏子の名と、この幕を寄進するために氏子が「一日一銭を蓄えたと」いう由緒とが記されており、当時の氏子の祭礼にかける思い入れを伺うことができます。